教員を辞めて嫌だったこと|元同僚と予期せぬ再会、そして心のざわつき

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教員を辞めてから、日々が穏やかになった一方で、思いがけず心が揺れる瞬間もありました。その一つが「元同僚との偶然の再会」です。ふいに出会ってしまったときの、あの胸のざわつき――今日はそんな経験について綴ります。

教員を辞めて、気持ちがざわついた瞬間

スーパーや街中で、思いがけず元同僚と鉢合わせた瞬間。相手が特別悪意を持っていたわけではないのに、心の中にスーッと冷たい風が吹き抜けました。

「どう思われているだろう?」
「逃げたって思われた?」
「負けた人だって見られた?」

誰かに言われたわけではなく、自分で勝手に自分を裁いてしまう。その“しょうもない価値観”の中に、気づけば自分を閉じ込めていたのです。

「相変わらずバタバタしてるよ〜」の一言が刺さった理由

久しぶりに会った元同僚は、こう言いました。

「あいかわらず忙しくてバタバタしてるよ~」

それだけの何気ない一言。けれど、なぜか深く胸に突き刺さったのです。
「今も現場で頑張っている」という事実と、辞めた自分との“線引き”を感じてしまったのかもしれません。

辞めた側が「楽してる」と思われたくない。だけど、「今も戦ってる」人を見て、自分はもうそこにいない…そのことが胸をチクリと刺す。
これは教員という職業の、**独特な“やめづらさ”**や“正しさ”へのこだわりと深く関係しているように思います。

教員だけが「辞めたら逃げ」になる不思議

他の職種では、転職は当たり前です。
キャリアアップやライフスタイルの変化、家庭の事情など、理由はさまざまですが「辞める=逃げ」にはなりません。

それなのに教員という職業は、なぜか**定年まで勤め上げることが“美徳”**とされている風潮があります。

「子どもたちのために」「やりがいのある仕事なのに」「責任がある」
こうした正論が、時に誰かの選択を苦しめることもあります。

転職して気づいた、「会いたい人にだけ会おう」という決意

辞めてみて気づいたのは、今の私を心から認めてくれる人の存在の大きさです。

教員として続けている人の中にも、私の今を応援してくれる人がいます。
そういう人とだけ繋がっていたい。自分を責めず、比べず、今を大事にしたい。

だから私は、こう決めました。

「会いたい人にだけ会おう」

教員を辞めたことは、逃げではない。
むしろ、人生を自分の手に取り戻すための“選択”だったのです。