「先生」じゃなくなって気づいた、本当の自分の価値
「評価される毎日」が当たり前だった
私は長年、教員として働いてきました。
教室では子どもたちに、職員室では同僚に、そして家庭では母親として、妻として。
どこにいても「どう思われるか」を常に気にしながら生きていました。
- 保護者にちゃんと信頼されているか
- 子どもに慕われているか
- 管理職に評価されて、来年度の人事でプラスになるか
- 家では夫に認められているか、子どもにとって「いい母」か
そんな風に、「他人の評価」が私の価値のすべてでした。
「先生」と呼ばれなくなって感じた喪失感
仕事を辞めたあの日から、誰も私を「先生」とは呼ばなくなりました。
正直、最初はその変化が寂しくて、ぽっかり穴が空いたような気持ちになりました。
今まで、どんな場面でも「○○先生」と呼ばれ、役割と期待に応えることで、自分の存在意義を感じていたんです。
でも、役割がなくなると、自分の価値までなくなったような気がして、不安に飲み込まれそうになることもありました。
本当の私は「役割」じゃなく、「一人の人間」
そんな時間を過ごす中で、ふと気づいたことがあります。
「私はただの一人の人間だったんだ」ということ。
先生である前に、一人の私。
母である前に、一人の私。
妻である前に、一人の私。
役割や他人の期待に応え続けることで、自分の価値を測ってきたけれど、
それはあくまで「オプション」であって、「本質」ではなかったのです。
評価されなくなって見えてきた、新しい自分
今は、誰にも評価されない時間があります。
でもその中で、自分が「本当に何をしたいのか」「どんな時間が心地よいのか」を見つめ直せるようになりました。
- 誰のためでもない、自分のための朝時間
- 他人の目を気にせずに選ぶ服
- 頑張らない料理
- ただ笑うだけの親子の会話
そこには、かつて「評価を得るために頑張っていた私」ではなく、
「肩書きのない、素のままの私」がいました。
まとめ:評価がなくても、あなたには価値がある
評価されない=価値がない、と思っていたけれど、それは大きな勘違いでした。
むしろ、他人の期待を手放したとき、はじめて「自分の人生」が始まるのかもしれません。
そしてそれは、静かだけれど、深く満ち足りた日々です。
「先生じゃない私」にも、ちゃんと価値があった。
それに気づけたことが、何よりの収穫です。