【教員の離職】なぜ「良い先生」ほど退職していくのか?25年続けた私が見てきた現実

教員時代

「子どもが大好きで、教えることに情熱を持っている先生ほど、なぜか先にやめていく——。」

教員として25年間働いてきた私が、現場で何度も目にしてきた“教育現場の不思議な現象”です。
この傾向は、単なる偶然ではありません。そこには、今の教育現場が抱える構造的な問題と、個々の先生たちの“葛藤”が深く関係しているのです。

今回は、「なぜ良い先生が辞めていくのか?」というテーマで、私自身の経験や身近にいた先生たちの姿を通して、その背景を掘り下げていきます。


「子どもは好き。でも、このままでは自分の人生が終わってしまう」

退職を決意した先生たちの多くが、こう口をそろえて言います。

子どもが好きで、目の前の子どもたちの成長を心から願って、一生懸命に授業を工夫し、毎日真摯に向き合っていた先生たち。
彼らが「もう限界だ」と感じるのは、決して“やりがい”がないからではありません。
むしろ、やりがいがあるからこそ、頑張りすぎてしまうのです。


終わらない仕事、持ち帰る日常

朝は子どもたちよりも早く登校し、夜は会議や書類に追われて帰宅が遅くなる。
どれだけ時間をかけても終わらない仕事が、毎日続いていきます。

最近は「持ち帰り仕事の削減」が叫ばれていますが、実際には“USBで持ち帰らないだけ”というケースも多く、ノートや紙の資料は今も日常的に家に持ち帰るのが当たり前。
そのうえ、休日も研修や部活動で休めない先生たちもたくさんいます。


講師から教諭へ。「責任」と「時間のなさ」のギャップ

たとえば、ある先生——A先生は、長年講師として教壇に立ち、ついに念願の新規採用で教諭になりました。
講師時代から学級づくりのセンスにあふれ、子どもにも保護者にも信頼されていた先生です。

しかし、教諭になってからA先生の表情が変わりました。
その理由は、「講師」と「教諭」との間にある、見えない“仕事の壁”でした。

研修、分掌(学校内の役割分担)、学年会、資料作成、保護者対応……。
講師の頃にはなかった“時間を奪う業務”が一気に押し寄せてきます。

さらに、キャリアアップに向けた「研修履歴」や「評価記録」を意識しながら動かなければならないプレッシャーも加わり、「子どもと向き合う時間」がどんどん削られていく現実に直面します。


教育を続けたい。でも、続けられない——。

教員を辞めた先生たちの多くは、「教えること自体は嫌いになっていない」と話します。
「本当は、子どもたちのそばにいたい」と涙ながらに語る先生もいました。

それでも、「このままでは自分が壊れてしまう」と、泣く泣く現場を離れる決断をするのです。


これからの学校に必要なのは「持続可能な働き方」

教育は、人の心を動かし、未来を創るすばらしい仕事です。
でも、そこで働く人が燃え尽きてしまっては、本末転倒です。

子どもたちにとって「良い先生」が、長く安心して働き続けられる仕組み。
教員ひとり一人の「人生」や「家庭」も大切にできる職場環境。
そうした「持続可能な学校づくり」が、今まさに求められているのではないでしょうか。


最後に——

私自身、迷いながらも、子どもたちと向き合ってきた25年間が宝物です。
そして今、教員を目指す若い人や、教育の世界で悩んでいる方に伝えたいのは、「一人で抱え込まないでほしい」ということ。

教員として続けることも、辞めることも、どちらも尊い選択です。
だからこそ、選べる社会であってほしいと、心から願っています。