【体験記】教員として働き続けた私が病気休暇を取りました。:4か月目の記録教員を

教員時代

20年以上、教員として全力で働いてきた私にとって、

「病気休暇(病休)」は他人事で、「病休を取る人=ずるい」と、どこかで思い込んでいました。

頑張り続けることが正義だと信じ、心も体もすり減らしながら走り続けてきたのです。

しかし、そんな私がついに病気休暇を取ることになりました。

早期退職という形を取った私の病休4か月めの記録です。

病休4か月目で見えてきた「回復」と「焦り」

4か月が経つ頃には、心身ともにずいぶんと回復してきた実感がありました。社会復帰のことも現実的に考えられるようになり、「そろそろ戻らなければ」という焦りも出てきました。

特に、年度途中で職場に迷惑をかけているという思いが強く、「一刻も早く戻って、自分の仕事を穴埋めしなければ」と自分を急かすようになっていました。

心に刺さった主治医の一言:「その職場でしんどくなったんでしょ?」

そんなとき、私に診断書を書いてくれた個人クリニックの女性医師が、ある一言を投げかけてくれました。

「しんどくなった環境は何も変わってないでしょ?」
「その職場でしんどくなったんでしょ?」

その言葉に、ハッとさせられました。確かに、復職すれば、またあの激務とプレッシャーにさらされる日々が戻ってくるのです。

確かに元気にはなった、でも、変わったのは私。現場は何も変わっていない。

「慣らし勤務」の提案にも心は揺れたが…

管理職からは「慣らし勤務」の提案もいただきました。

育児でいう“慣らし保育”のように、段階的に職場復帰する方法です。正直、やってみようかと心が揺れました。

しかし、またあの生活に戻ったら、私はきっと再び心と体を壊してしまう…。そして、自分の人生を「教員という仕事」にすべて捧げてしまうことになるかもしれない――そんな不安が拭いきれず、責任感と逃避したい気持ちとの間で葛藤する時間となりました。

人事異動のタイミングで退職を決断

ちょうどその頃、毎年恒例の人事異動の話がありました。人事異動で希望する場所等を書く書類を提出する時期です。

それが、私の背中を押すきっかけになりました。『退職』の欄に〇をつけました。理由はたくさん書きたかったけど、自己都合という言葉を選ぶしかできなかった。

「このまま戻るのではなく、ここで区切りをつけよう」
「しっかり病休を取って、自分の人生をやり直そう」

そう思えるようになったのは、きっと私が元気を取り戻したからこそだと思います。

「病休中の自分が嫌いだった」それでも今なら言える

病休を取っていたあいだ、自分がどこか“こそこそ”生きているような気がして、自分自身を好きになれませんでした。
信頼され、キャリアを積み重ねてきた自分が、“リセット”された状態で復職することも、私の心がどうしても受け入れられなかったのです。

カウンセリングとか受けに行ってもよかったのかもしれません。

でも、今は思います。

時間をかけて、自分と向き合い、自分のこころと身体を取り戻せたからこそ、冷静な判断ができたのだと。


教員として働くすべての人へ伝えたいこと

今はどこでも教員不足。

がんばることが正義、年度途中で休むだなんて無責任

そんなことありません。

教員だって、一つの職業 気合と根性だけで「頑張ること」が正義ではありません。
無理を続けることがプロフェッショナルの証ではありません。

いま苦しいと思っている教職員の方がいたら、自分を責めずに「立ち止まる勇気」を持ってほしい。
そして、病気休暇は「ずるい」ことではなく、「必要な回復の時間」だということを知ってほしい。

今はそう思います。