「できる女」だったはずの私が、スーパーで立ち尽くした日

lifestyle

―フルタイム勤務から見えた、“できる”という価値観のゆらぎ―

「私は“できる女”だ」
そう信じてきた。
フルタイムでバリバリ働き、仕事では成果も出してきた。責任あるポジションを任されるたびに、「必要とされている」と誇らしく思っていた。だけど今、その“できる”という言葉の意味に迷い始めている。


昼間のスーパーで感じた“無力感”

ある日、平日の昼間にスーパーに立ち寄った。
今までなら考えられない時間帯。かごを持って、ぐるぐると店内を歩く。だけど…何を買えばいいのか、わからなかった。

私はいつも、週末にまとめ買いをしていた。冷凍できるもの、保存のきくもの、レトルト食品、宅配食材…。平日は帰宅も遅く、夕食は総菜かウーバー頼み。手作りの料理なんて、もはや特別なイベントのようなものだった。

「特売」の文字を見つけて飛びつくけれど、それが本当に安いのか、わからない。今が旬の野菜、価格の相場、買い置きの計画…。何も知らないことに気づく。


ご飯を「作る」ことの難しさと喜び

「料理って、難しい」
久しぶりにキッチンに立って、私は心からそう思った。
レシピ本を買って、調味料の計量から始める。かかる時間は、想像以上。けれど、できあがったご飯を食卓に並べると、家族が嬉しそうに食べてくれる。

いつもより会話が弾む。
「おいしいね」「これ何の味?」「また作ってほしい」
その言葉に、胸がじんわり温かくなった。


“できる”とは、誰の基準だったのか?

私は、ずっと「外で働くこと=できる女性」だと思っていた。
家事に手が回らないのは当たり前、手間を省くことがスマートだと考えていた。けれど今、少し立ち止まってみて思う。
私がこれまで信じてきた“できる”って、誰の価値観だったのだろう。

料理をする自分は、不器用で、時間がかかるし、手際も悪い。だけど、家族が笑顔になり、自分の中にも小さな達成感が芽生える。
こんな「できる」も、あっていいんじゃないかと思えてきた。


価値観のアップデートは、悪くない

キャリアを積み重ねてきた自分を、否定したいわけではない。あの時の自分も、間違いなく“できる”女性だった。でも、今の私もまた、ちがった意味で“できる”自分。

大切なのは、「どちらが上か」ではなく、「どちらも大切」と思える柔らかさ。
価値観は、変えてもいい。むしろ、変わっていくからこそ、人生は面白い。


まとめ:自分にとっての“できる”を問い直す

  • フルタイム勤務=“できる女性”という一辺倒な価値観に縛られていませんか?
  • 家事や料理をこなす力もまた、大切な「生活力」
  • 不器用でも、時間がかかっても、家族との時間が豊かになることが本当の“できる”かもしれない
  • これまでの自分を否定せず、今の自分も肯定することが、心の健康につながる

今、私は料理本とにらめっこしながら、少しずつご飯を作っている。
失敗する日もあるし、うまくいかない日もある。
でも、その先にある家族の笑顔や、自分の満足感を大事にしたい。
「できる」の形は、ひとつじゃない。
それに気づけた今の自分も、やっぱり“できる女”だと思っている。

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